|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network) ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神話 : [しんわ] 【名詞】 1. myth 2. legend ・ 話 : [はなし] 1. (io) (n) talk 2. speech 3. chat 4. story 5. conversation
射手のアーラシュ( ''Āraŝ-e Kamāngīr'', アーラシェ・カマーンギール〔-e は Āraŝ(アーラシュ)が Kamāngīr(射手)に修飾されることを示すもので、発音上は Āraŝ に短い「エ」が付加される(エザーフェを参照)。「~の」に相当する。〕)はイランの伝承上の英雄である。 ==概要== アーラシュの物語の典型は次のようなものである:イラン人とトゥーラーン人の間に起こった「聖なる栄光」()を巡る戦争において、トゥーラーンの将軍アフラースィヤーブがイランの王マヌーチェフル (Manūčehr) の軍を包囲し、両軍は講和を結んだ。 両者は、弓矢の届く限りの土地をマヌーチェフルとイランの民に返還し、残りの土地をアフラースィヤーブと他の民族のものとすることで合意に至った。天使(アル=ビールーニーによれば 'Esfandārmaḏ', すなわちアムシャ・スプンタの一柱スプンタ・アールマティ、パフラヴィー語でスパンダールマド (Spandārmad) のこと)はマヌーチェフルに特別な弓と矢を作らせ、熟達した射手であるアーラシュがその矢を放つ役に選ばれた。アーラシュが夜明けに矢を放つと、矢は恐るべき距離を飛んでいき、イラン人とその他の民族とを隔てるべき境界の印となった。 ビールーニーによれば、アーラシュは矢を放ったことにより滅んで消えてしまったという。アーラシュは己の肉体を晒しこう言った:「見ろ! 私の体には傷一つ病一つない。だがこの矢を放ったとき、私は滅びるだろう」。そして夜明けにアーラシュが矢を放つとすぐさま、アーラシュの体は裂けて散り散りになった。サアーリビーもまた矢を放ったアーラシュは滅んでしまったとしている ("Ḡorar")。 後期の文献においてアーラシュの結末は異なっており、アル=タバリーによれば、アーラシュは人々に支持されて弓兵達の指揮官となり、大きな名誉の中で人生を送ったとされる。 アーラシュが放った矢がどれほど飛んだかについても諸説ある。一説では 1000 里(パラサング)の距離とされ、またある説では 40 日間歩いたほどの距離だとされる。他にも矢が飛んだ時間について、夜明けから正午にかけて飛んだとすることもあれば、夜明けから日没まで飛び続けたとすることもある。 文献の中にはアーラシュが矢を放った日を特定しているものもある。中世ペルシア語のテクスト "Mah i Frawardin" では第 1 の月の 6 日目(において 1 月はフラワルディーン、6 日はホルダードと呼ばれる)とされ、より後期の文献ではの日(の月の 13 日。ティールは第 4 の月でティシュトリヤに因む)とされている(ビールーニー『古代民族年代記 (Āṯār al-bāqīa)』、 "Zayn al-Akhbār")。ティールガーンのある日はゾロアスター教暦のヤザタ・ティール (Yazata Tir) にあたり、月名のティール (Tir) と同音の言葉で「矢」という意味の異義語あるため、そこから想起されたのではないかと考えられている。 アーラシュの矢がどこから放たれたかについても様々な言及がある。『アヴェスター』のティシュタル・では「アリヨー・フシュサ (Airyo Xshutha)」という山から放たれたとされている (Yt. 8.6)。アリヨー・フシュサがどこにあったかは分かっていない。イスラームの時代に下ると、アーラシュが矢を放った場所は多くの文献でカスピ海の南が示され、タバリスターン(タバリー、サアーリビー、マクディーシ、イブン・アル=アスィール、マラーシによる)、の山頂(アル=ビールーニー、ガルディーズィーによる)、の砦(『』による)、ダマーヴァンド山(バラミによる)、サーリー(ゴルガーニーによる)などとされる。 アーラシュの矢が立った場所については、『アヴェスター』のティシュタル・ヤシュトでは「フワンワント (Xwanwant)」という山が示され(具体的な場所は同定されていないが、『シャー・ナーメ』や『』において言及される「ホマーヴァン (Homāvan)」と同じ山ではないかと提案されている。この山はホラーサーン北東部にあったと考えられている)、あるいはバルフにある川(タバリー、アル=アスィールによる)、バルフの東(サアーリビーによる)、バクトリアないしトハーリスターン(マクディーシ、ガルディーズィーによる)、アムダリヤ川の堤防(バラミによる)、メルブ(『モジマル』による)などとされる。アル=ビールーニーによればアーラシュの矢は、ホラーサーンから最も遠い、フェルガナとタバリスターンの間の木に刺さったという。 アーラシュという名前はイラン人の名前として今日では非常に一般的なものになっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーラシュ (イラン神話)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|